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(>>1のつづき)
福島県相馬市の標葉隆三郎医師は、震災発生後、避難区域で見つかった遺体について餓死の
疑いが強いと判断しました。
標葉医師は、遺体はひどくやせ細り、ほとんど食べ物を食べず、水も飲んでいないことがうかがえ、
震災後、しばらく生存したうえで衰弱していったとみています。
今回の事態について、標葉医師は「避難区域で取り残されて、亡くなっていったと考えられる。
こうした方々の死を決して忘れてはいけない。連絡手段がないなかで避難していない人を、
行政がどのようにケアしていくのかについて、今後、対策を考える必要がある」と話しています。
震災直後に避難区域で救助活動に当たっていた複数の消防団員は、避難指示が出て
救助活動が中断されるまでの間に助けを求める声を聞いたと証言しています。
津波で125人が死亡した福島県浪江町の請戸地区で救助活動に当たっていた浪江町消防団員の
高野仁久さんは、震災当日の夜、がれきの中から助けを求める声や、物をたたいて居場所を
知らせようとする音を聞いていたということです。
高野さんは、応援を求めにいったん役場の詰め所に戻りますが、機材も人員も足りず、
大津波警報が引き続き出されていたため、町の判断で救助活動は翌朝に持ち越されたと
いうことです。しかし、翌日の朝、原発から10キロ圏内に避難指示が出されたため、
救助活動に向かうことができず、住民の避難誘導を優先せざるをえなかったということです。
これについて高野さんは、「あのとき、『あす助けにくるから待ってろよ』と声をかけてきたのに、
結局、救助に行けなかったことを今でも後悔している。原発事故がなければ何人もの命を
救うことができたのではないかと無念に思う」と話しています。
自宅こたつの中で遺体で見つかった女性の親族の男性は、「おそらく周りで何が
起きているのかも分からないまま、1人で何日間も耐え忍んでいたかと思うと、どんなに
心細かったか、ことばになりません。今でも、なぜ家族が死ななくてはならなかったのか
考えると、原発事故さえなかったらという思いを強くしています。残された遺族としては
せめて家族の死をむだにしないでほしいと願っています」と話しています。(以上、抜粋)