12/03/05 13:06:49.12 92PdwFQM0
たとえ隠したいと願っても、隠しきれるものではないのだろう。
東京電力福島第1原発事故に関する政府の事故調査・検証委員会が昨年12月にまとめた
中間報告で、当時の首相官邸、とりわけ菅直人前首相自身のパニックと暴走が無用の混乱を
招いていたことが改めて裏付けられた。
現場は過酷な条件の下、第1原発1号機のベント(排気)に半ば死を覚悟して取り組んでいた。
ところが菅氏は東電側が「ベントをためらっている」と誤解し、いらだちを募らせた結果、東日本
大震災翌日の3月12日早朝に急遽(きゅうきょ)、現地に乗り込んだ。
「首相の対応に多くの幹部を割く余裕はなく、自分一人で対応しようと決めた」
田昌郎所長(当時)は事故調にこう証言している。
政府の現地対策本部長だった池田元久前経済産業副大臣も、菅氏の様子を東日本大震災
発生後5日間を記録した覚書にこう書いている。
「初めから詰問調であった。『なぜベントをやらないのか』という趣旨だったと思う。
怒鳴り声ばかり聞こえ、話の内容はそばにいてもよく分からなかった」
「『何のために俺がここに来たと思っているのか』と総理の怒声が聞こえた。
これはまずい。一般作業員の前で言うとは」
当時、菅氏の周辺は盛んに「ベントの指示を出したのに東電がなかなかやらなかった」との
情報を流していた。だが、その間の事情を知る官邸筋は明言する。
政治部・阿比留瑠比 首相の責任 全容解明を その1
URLリンク(sankei.jp.msn.com)