【震災から1年】 「ほうしゃのう、こわいよ」 福島に残った子供、外遊びも不自由。土や花にも触れず…子供にがん保険ほかける動きもat NEWSPLUS
【震災から1年】 「ほうしゃのう、こわいよ」 福島に残った子供、外遊びも不自由。土や花にも触れず…子供にがん保険ほかける動きも - 暇つぶし2ch1:☆ばぐた☆ ◆JSGFLSFOXQ @☆ばぐ太☆φ ★
12/03/05 10:49:10.77 0
・「じいじ、ほうしゃのうこわいからかえろうよ」。放射線量が高い福島県伊達市。原発事故から
 間もないころ、初孫の菅野優花ちゃん(3)を散歩に連れ出した祖父の均さん(61)はこう言われた。
 ままごとセットや人形の家など優花ちゃんの玩具は、茶の間の窓際に置かれている。家の中で
 一番線量が低いからだ。「いつも一人でおとなしく遊んでいます」。祖母の智子さん(53)が言う。
 母の美雪さん(27)は近くの薬局に勤務。均さんは昨年春に高校教員を退職し、農業に専念する。
 智子さんは今も悔やんでいる。「家に一人で残すわけにもいかなかった」。物資不足が心配で、
 原発事故からしばらく、買い出しに優花ちゃんを連れ歩いた。放射性ヨウ素が一帯に降り注いで
 いたことを後で知った。

 周囲の子を持つ世帯は次々と避難し、この春、優花ちゃんと一緒に近くの幼稚園に通い始める
 子は13人から2人に減った。「避難すれば仕事を失う」。美雪さんは何カ月も迷った末に残ることを
 決めた。外遊びは数日おきに玄関先で20分ほど。「原発事故からしばらく、美雪の顔つきは
 変わっていた」と智子さんは振り返る。

 均さんは「放射能という言葉を優花はすぐに覚えた」。外に出たがる孫のためにアニメを一日中
 流す衛星放送に加入した。智子さんはやむを得ず外へ連れ出す時、背におぶう。地面に下ろすと
 土や草花に触ろうとする。そのたびに「だめよ」と小さな手をつかむ。

 事故後、炊飯器で2種類のコメを炊くようになった。以前は均さんが収穫するコメをみんなで
 食べていた。新米から放射性セシウムは検出されなかったが、美雪さんは原発からより離れた
 喜多方産のコメを娘に与えている。地場の果物や野菜も厳禁。優花ちゃんは近所に自生する
 タラの芽の天ぷらが大好物だ。「たべたいよお」。孫にせがまれるたびに、智子さんは切なくなる。

 「子育て仲間が何人も去った」と美雪さんは言う。福島市北沢又の吉田裕子さん(29)もその一人。
 吉田さんが昨年9月、3歳と1歳の娘を連れ山形市へ避難する際、我が子が放射線を浴びる不安を
 互いに語り合った。(>>2-10につづく)
 URLリンク(mainichi.jp)


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