【政治】田原 総一朗さん、女性宮家創設に賛成の立場示す 政府、有識者のヒアリング開始at NEWSPLUS
【政治】田原 総一朗さん、女性宮家創設に賛成の立場示す 政府、有識者のヒアリング開始 - 暇つぶし2ch30:名無しさん@12周年
12/02/29 17:59:30.43 KBSOs+TC0
鈴木 安蔵
URLリンク(ja.wikipedia.org)

>鈴木 安蔵(すずき やすぞう、1904年3月3日 - 1983年8月7日)は、
>日本の法学者(憲法学者)・法制史家。福島県相馬郡小高町(現・南相馬市)出身。

>戦前期は左翼学生運動での検挙、著書の発禁など不遇の時期を過ごしていたが、
>明治文化研究会に参加し、在野の研究者としてマルクス主義的立場から
>大日本帝国憲法をはじめとする憲法史・政治史を研究、特に大日本帝国憲法の成立過程の実証研究のさきがけとなった。

>第二次世界大戦後は憲法研究会の発足に参加し、
>自らの憲法史研究をベースとして会による憲法私案「憲法草案要綱」をまとめた。
>この要綱がGHQに大きな影響力をあたえたことから、
>それをまとめる中心となった鈴木は、日本国憲法の間接的起草者といわれている。

>左翼運動から憲法史研究へ

>相馬中学、二高を経て、京都帝国大学哲学科に入学。文学部哲学科に入学したものの、
>河上肇の影響を受け経済学部に転じる。1926年(大正15年)京都学連事件で検挙され、
>この事件が治安維持法違反第1号となり大学を自主退学、豊多摩刑務所に2年間服役した。
>出獄後は吉野作造(明治文化研究会を結成し『明治文化全集』を編集)の影響を受け、
>マルクス主義の立場から大日本帝国憲法の制定史を研究、1933年(昭和8年)、
>著書『憲法の歴史的研究』として刊行したが「唯物史観的」として発禁処分を受け
>学界からは完全にパージされてしまった。

>しかしこの事件をきっかけに、吉野の死後明治文化研究会の会長に就任していた尾佐竹猛の知遇を受け、
>彼の慫慂により会の事務局格として活躍、1937年にはやはり尾佐竹の推薦で衆議院憲政史編纂委員に就任した。
>これ以後彼は、戦前期において実に20作以上に上る著作を発表し、
>また研究活動の過程で明治期の民権運動家による私擬憲法(憲法案)を発掘したことは戦後の活動につながることになった。

日本国憲法の草案をつくった人間が革マル派だと言う事実。


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