12/02/26 20:52:37.22 1BOZ1ezo0
>>423
1、ティンパリーの「戦争とは何か」の中に3回に渡り、南京市民の総人口は20万人という記述が出てくる
2、米副領事のエスピーの本国への報告にも20万人の南京市民という記述があり
3、またラーベ委員長のドイツ大使館への報告にも、「南京の人口は20万人」と報告されている。
4、ドイツ・フランクフルター紙の特派員で陥落直前南京を脱出したリリー・アベック女史が「文芸春秋」(昭和13(1938)年・2)に書いた
「南京脱出記」によると、自分の脱出時には、たくさんの人たちが南京市を脱出し「漸(ようや)く、15万人を数ふる小都市に成り下がっていったおいう記述があり
5、日本軍の捕虜となった張群思少佐は「南京衛戊軍の兵力数5万、非戦闘員10万」と述べており
6、南京攻略戦の総司令官松井大将の日記には、南京の非戦闘員の数は12万ほどと書いており
7、東京裁判でロヴィン弁護士が「南京ニ於(おい)テ殺害サレタ数ハ30万トナッテ居(お)リマスガ、私ノ承知シテ居(い)ル範囲ニ於キマシテハ南京ノ人口ハ20万デアリマス」と
ズバリこの問題の本質を突く質問をした。
するとウエッブ裁判長はあわてて、「今ハソレヲ持チ出ス時デハアリマセン」とこの発言を封じてしまった。(「極東国際軍事裁判速記録」58号21・8・29)。
以上を総合すると、南京攻略戦直後の人口は少なければ12万、多くても20万人だったということがわかる