12/02/23 15:19:59.39 0
(>>1のつづき)
だが、最終的には被害者側と加害者側の双方から話を聞き、双方の史料を照らし合わせ、
その平均値によって状況を振り返るしかないことも多い。とりわけ被害者側と加害者側が国になると、
歴史教育には国の立場が反映され、歴史観とナショナリズムが直結してしまう場合もある。
他国の例で恐縮だが、1975年4月からの3年8カ月に100万人以上の市民が政府によって殺されたと
されるカンボジアのポルポト時代の事例をあげておう。当時、鎖国政策をとっていたポルポト政権の
実態を知る外国人はほとんどいなかった。しかし政権末期になると、タイ国境に脱出した難民ら
証言により、国内でとんでもないことが起きていることがわかってきた。そんなとき、日本の社民連
という政党の議員たち(江田五月、田英夫、楢崎弥之助、そして菅直人など)は、「カンボジアで
虐殺はなかった」と言い続けていたのである。
詳しい話は別の機会にゆずるが、ようはカンボジア国内の実状を知らぬまま、ただただ自分らが
「ポルポト政権を支持する」という政治的な主義主張を通すがために、社民連は「虐殺はなかった」
などという間抜けなことを言っていたのであった。ひるがえって南京事件を見てみると、否定派の
主張には日本軍を美化するような部分が垣間見られ、まずは「虐殺はなかった」という主張があり
それを示すための根拠を無理矢理に提示しているようにも感じられる。
南京事件において「少なくとも万人単位の虐殺はあったのではないか」と考えている筆者から見れば、
河村市長の「なかったんじゃないか」という発言はちゃんちゃらおかしく思える。ましてや南京市
訪問団の前でそれを言うのはあまりにもナンセンスであるように思える。この発言を受けて、
南京市は姉妹提携を取りやめ、両市の交流を停止することを決めた。河村市長は「新たな
研究成果が出てきている」などと述べているようだが、この件に関して「なかった」ことを実証することは
何の解決にもつながらない。(>>3-10につづく)