12/02/22 19:19:29.82 wDJCt7hp0
南京大虐殺が有ったとされる期間、
南京陥落の翌日の昭和12(1937)年14日の昼から翌年の1月上旬に至るまでの間、
南京城内外周辺を克明に撮影した記録映画。
URLリンク(www.geocities.jp)
民間の支那人が日章旗を揚げている。のどかな風景。
仮に、日本兵が殺人鬼なら、役者でもない素人がこんな穏やかな表情はできない。
南京の全住民は20万から15万人であり30万人もいなかった。
その南京の全住民は安全地帯というエリアに避難するよう勧告が出されていた。
武器弾薬が不足気味の第十六旅団およそ2000人がその南京に入場した。
日本軍が南京にいたのは、昭和12年12月13日~翌年1月下旬までの約6週間。
仮に、中国側が主張する捏造数字30万人も殺すとしよう。
すると、弾薬不足の日本兵は1日平均7500人殺していかねばならない。
武器弾薬が不足している日本兵にそんなことが事実上可能だと思うか。
弾薬を節約して軍刀を使うとしよう。
日本軍の細い刀はまき割りで使うナタや中国伝統の青竜刀とは違い、
一人を殺せば刃こぼれし脂肪が付着し使い物にならなくなる。
おまけに群集たちには手足と土地勘があるので自由に逃げ出す。
そもそも戦争中の兵隊さんは忙しい。民間人にちょっかいを出すヒマなんかない。
冷静に考えたら絶対に無理ってことがわかる。
都市伝説で、モノ不足の戦争中に窮乏ヒットラーが、
余裕ぶっこいてUFO製造したとか飛ばしたとかの類と同じ与太話だ。
URLリンク(www2.gyojya.jp:8000)
日本軍側が処刑したのは、軍服脱いだ便衣兵(ゲリラ)嫌疑であり、ゲリラはそもそも捕虜の資格を喪失している。
「こっちが軍服脱いだら、相手は便衣兵狩りに出て嫌疑者の大量処刑が起こるから、脱ぐな。」
とハーグ陸戦協定を自軍兵士へ伝えるのが国民党軍の指揮官側の義務だった。
国民党軍の部隊が丸ごと「もぬけの殻」で軍服軍靴の脱ぎ捨てが実際に確認されている。
なんせ置き去りにされた中国兵は正規に投降してないんで、全部便衣兵扱いになった。
支那の民間人が、中世日本の百姓じゃないので、自主的に落ち武者狩りするわけなく、
日本軍側は、ゲリラを警戒するのが当然だ。
イタリア軍はハーグ陸戦協定を熟知しているので、投降兵、捕虜が多すぎて数え切れず、面積で扱った。