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《国際連盟議事録の資料としての価値》
検証するにあたって、「南京大虐殺」があったとする1937年12月13日から
翌38年2月までの公文書を重要な一次資料と判断して、
第百会期国際連盟理事会(1938年1月26日~2月2日)の議事録を入手した。
その中で、顧維鈞中国代表は「南京で2万人の虐殺と数千の女性への暴行」があったと
演説し、国際連盟の「行動を要求」をしても、国際連盟は、1937年10月6日の
南京・広東に対する「日本軍の空爆を非難する案」のように採択しなかった。この事実は、
東京裁判での20万人や中国側が昨年まで主張していた公式見解30万人と桁が違う。
また、その国際連盟議事録の「2万人の虐殺」は、蒋介石軍からの報告ではなく、
米国人ベイツ教授やフィッチ牧師の伝聞を記事にしたニューヨーク・タイムズなどの
新聞報道に基づくものだった。ちなみに、ベイツ教授もフィッチ牧師も単なる
「第三者」ではなかったのである。
フィッチ牧師は、反日活動をしていた朝鮮人の金九を自宅に匿った前歴のある人物であり、
ベイツ教授は中華民国政府の顧問だった。
蒋介石軍の将兵は、1938年1月になると、南京城内安全区から脱出して、蒋介石に
南京城陥落に関した軍事報告をしている。
その時点で「戦時国際法違反」を実証できる報告を蒋介石が受けていたならば、
顧維鈞中国代表は、国際連盟での演説に取り入れていたであろう。
顧中国代表は、「戦時国際法違反」になる事実を確認できなかった事で、「デマ」に基づく
新聞記事を援用せざるを得なかった。
(『南京の実相 - 国際連盟は「南京2万人虐殺」すら認めなかった』日新報道)