12/02/21 01:43:00.75 5CE1cidS0
前スレ>>908
> 結局罪があったと言うなら挙証責任(主張立証責任)は訴える方にあるんであって、
> これは小室直樹が20年以上前に言ってることだけどね。
>
> ないことの証明をしろというのは「悪魔の証明」。
悪魔の証明を都合よく使いすぎ
あれは「大量の母数全てに無い事を調べるのは困難」だから、それを求めてはいけないという理屈だけ
全部の母数なぞ調べなくてもいいから、兵士の日記や戦闘詳報から、捕虜の殺害以外の業務を行なっていた史料を挙げ
それらが概ね、その部隊全体の行動だったと結論できるだけの数を揃えれば
その部隊の無罪は確定できる
これまで否定派は日記や戦闘詳報を「それは証拠とは認めない」という論法を使うだけで
例えば幕府山事件などでも、その日捕虜の殺害以外に従事していたという日記も戦闘詳報も一切挙げてきていない
そんな「悪魔の証明」を都合よく拡大解釈して、自分は何も証明しなくていいという態度ばかりとるから
日中歴史共同研究でも否定派は相手にされないんだよ