12/02/20 23:17:48.22 wuJPY8H60
>>538
まず、↓のニュース記事みればいいじゃん
シカゴ・ディリー・ニューズ 一九三七年十二月十五日
URLリンク(www.geocities.jp)
南京大虐殺(ゆう注 原見出し”NANKING MASSACRE STORY”)
◇日本軍、何千人も殺害
◇目撃者の語る″地獄の四日間”
◇通りに五フィートも積もる死体の山
南京の包囲と攻略を最もふさわしい言葉で表現するならば、"地獄の四日間″ということになろう。
首都攻撃が始まってから南京を離れる外国人の第一陣として、私は米艦オアフ号に乗船したところである。
南京を離れるとき、われわれ一行が最後に目撃したものは、河岸近くの城壁を背にして三〇〇人の中国人の
一群を整然と処刑している光景であった。そこにはすでに膝がうずまるほど死体が積まれていた。
それはこの数日間の狂気の南京を象徴する情景であった。
南京の陥落劇は、罠にはまった中国防衛軍の筆に尽くせないパニック・混乱状態と、その後に続いた日本軍の
恐怖の支配、ということになる。後者では何千人もの生命が犠牲となったが、多くは罪のない市民であった。
首都放棄以前の中国軍の行為も悲惨であったが、侵入軍の狼籍に較べたらおとなしいものだった。
南京にいる外国人は全員無事である。
◇通りに五フィートも積もる死体の山
まるで羊の屠殺であった。どれだけの部隊が捕まり殺害されたか、数を推計するのは難しいが、おそらく五千から
二万の間であろう。
陸上の通路は日本軍のために断たれていたので、中国軍は下関門を通って長江に殺到した。門はたちまち詰まって
しまった。今日この門を通ったとき、五フィート(約一・五メートルー訳者)の厚さの死体の上をやむなく車を走ら
せた。この死体の上を日本軍のトラックや大砲が、すでに何百となく通り過ぎていた。
市内の通りはいたるところに市民の死体や中国軍の装備・兵服が散乱していた。渡江船を確保できなかった多くの部隊は
長江に飛び込んだが、ほとんどが溺死を免れなかった。