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「南京占領後における日本軍の南京市民に加へた暴行が相当にひどいものであつたことは、蔽ひ難き
事実である。当時私は北京に住んでゐたが、南京虐殺の噂があまり高いので、昭和十三年の夏、津浦線
を通つて南京に旅行した。南京市街の民家が概ね焼けてゐるので、私は日本軍の爆撃によつて焼かれ
たものと考へ、空爆の威力に驚いてゐたが、よく訊いてみると、それらの民家は、いづれも南京陥落
後、日本兵の放火によつて焼かれたものであつた
南京市民の日本人に対する恐怖の念は、半歳を経た当時においても尚冷めやらず、
南京の婦女子は私がやさしく話しかけても返事もせずに逃げかくれした。
私を乗せて走る洋車夫が私に語つたところによると、現在南京市内にゐる姑娘[若い娘]で
日本兵の暴行を受けなかった者はひとりもないといふ。
( 滝川政次郎 法学者・東京裁判日本側弁護人 『東京裁判をさばく(下)』 )