12/02/15 22:45:45.92 WrIydciVP
「日本はどの時点で道を外したのか」
昭和3年の張作霖爆殺事件のその後の経緯と
昭和6年の柳条湖事件のその後の経緯を比較すれば解る
張作霖爆殺事件の時は昭和天皇が激怒し田中内閣総辞職となり、
メディア(世論)も軍部を叩き、軍部も責任者の処断を余儀なくされ
辛うじて軍部台頭とはならなかった
ところが柳条湖事件の時は、うって変わってメディアは挙って軍部にエールを送り、
政府が不拡大方針をとっていたにもかかわらず、メディア(世論)の後押しを受けて
昭和7年1月までにほぼ東三省を占領、3月1日満州国の建国の至った(満州事変)
では昭和3年と昭和6年の間に何が起こったのか?
昭和5年4月25日
政友会の犬養毅と鳩山一郎、ロンドン軍縮条約は統帥権干犯と、衆院で浜口雄幸首相を糾弾
党利党略のまま、政敵浜口首相を追い落す為に、軍縮条約批准を妨害。
浜口雄幸の構想した日英米大同盟も儚く潰えたばかりか、
最終的には犬養毅本人の暗殺を以て、萌芽の兆しのあった戦前の政党政治も崩壊した・・・
最初に議会へ統帥権干犯を持ち込んだのは軍部ではなく犬養毅と鳩山一郎
帝国議会を機能不全に陥らせた憲法問題(統帥権問題)を持ち込んだ張本人
昭和5年4月25日以降、軍部は統帥権干犯の名の下、
帝国議会のコントロールを離れる口実を得てしまった
犬養が憲政のかみさまあ?プ、なワケだが・・・犬養がマスゴミ出身であることも付け加えとく