12/02/04 14:46:39.10 dB5g9I5w0
1372年以降、中国の明清両代の冊封使は釣魚島を琉球へ行く際に通るべき海路の目印としていた。
早くも1403年、中国の海上航路に関する書『順風相送』に釣魚嶼の記載がある。
1719年に琉球を訪れた清朝の冊封使、徐葆光が『中山伝信録』に記した海上航路は
「上ェ安鎮より五虎門を出で、鷄籠頭を取り、花瓶嶼、彭家山、釣魚台、黄尾嶼、赤尾嶼を経て、
姑米山、馬歯山を取り、琉球那覇港に入る」というものだ。
1971年12月、中国外交部は「釣魚島、黄尾嶼、赤尾嶼、南小島、北小島は台湾の付属島嶼である。
これらは台湾同様、古来中国の領土の不可分の一部である」との声明を発表した。
日本の歴史学者、故・井上清は生前「釣魚島などの島々は遅くとも明代以降は中国の領土である。
この事実は中国人だけでなく琉球人や日本人も確かに認めている」と指摘した。
1708年に琉球の学者、程順則が『指南広義』に釣魚台、黄尾嶼、
赤尾嶼を明確に記載した上、姑米山(久米島)について「琉球西南方界上鎮山」と記していることは、
釣魚島とその付属島嶼が中国に属することを認めたに等しい。
日本人の高橋庄五郎も「釣魚島などの島名は中国が先につけている。
そのうち黄尾嶼、赤尾嶼などの固有名称は明らかに中国名で、
台湾に属する花瓶嶼、棉花嶼、彭佳嶼などと同じだ。
日本には『嶼』を使った島名はない」と指摘している。
URLリンク(j1.peopledaily.com.cn)