【政治】「真田幸村のような心境」自民幹事長、愛知県知事と会談at NEWSPLUS
【政治】「真田幸村のような心境」自民幹事長、愛知県知事と会談 - 暇つぶし2ch149:名無しさん@12周年
12/02/02 12:00:22.29 JLFXp/dk0
>>118
1.なぜ三成は挙兵を焦ったのか?
(三成と秀頼は家康が逆立ちしても手に入れられない「若さ」を持っているのになぜ無理な挙兵を?)

A.家康は秀吉の遺訓を破り、次々と他の有力者との縁組を交わし続けていた。
  また三成は朝鮮出兵時の恨みを買い、暗殺されかかるなど追い込まれていた。
  家康の野望を止めるには挙兵はやむなしと考えたのであろう。

2.家康のミスだらけの戦略はいかに?
(誰がどう見ても天下分け目の戦いなのに秀忠を遅参させたりとミスが多すぎる。)
そして、真田昌幸・幸村親子が西軍なのにその肉親の信之を大切な秀忠軍に加えるのも不可解。

A.秀忠の遅参はまったくの計算外であったろう。秀忠軍に信之を参加させたのは、上田に篭る真田親子との講和をスムーズにする為だったと思われる。
  実際に講和はスムーズに行われたのだが、昌幸の嘘により結局講和はならずだったが、たとえ嘘だと信之が気付いてたとしても、
  大将である秀忠の決定に口を挟むことはできなかったと言える。まぁ口を挟む気もなかったのだろうが。

3.裏切り組がなぜ裏切ったかが謎

A.秀吉が天下人となり、戦が途絶えて十年ほど。厭戦ムードが広がると共に、どの勢力も戦いに勝ったほうに組したいというのが本音であった。
  故に天下分け目の大戦と言われながらも、それぞれが極力被害が出ないように戦っていた。
  それに加え戦乱の世を戦ってきた武人たちは老い、その子息が決断をしなければならなくなっていた為、戦局が読みきれなかったのも原因。
  そこへ百戦錬磨の家康が脅しをかけてきたので、簡単に裏切りに応じたのであろう。

4.戦後処理の不公平さ

A.島津が利口だっただけ。また家康が島津と戦をするのも避けたのが原因。まぁ歴史は面白いもので、結局島津家に徳川家は降されるわけだが。

だと、歴史好きの俺は思っているわけだが。


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