12/02/05 08:50:00.80 H5wC8Cka0
>エミシのアテルイを征伐した坂上田村麻呂のお父さんの苅田麻呂も渡来系です。
>その苅田麻呂が「『凡そ高市郡内は檜前忌寸及び一七の県の人夫地に満ちて居す。
>他姓の者は十にして一、二なりき』という上表文を書いている。
>飛鳥文化発祥の地だった高市郡の人口の8、9割が、
>百済系渡来人の後裔だった」というのです。
>さらに蘇我蝦夷・蘇我入鹿などの蘇我氏も渡来人とする説もあります。
>そうすると蘇我氏の濃い血が流れる聖徳太子―廐戸皇子(うまやどのみこ)
>は父方も母方も祖母は蘇我稲目の娘ですから―も渡来人の子孫ということになります。
>「吉田晶によると、河内国の渡来系氏族は、古市郡では12氏のうちの8氏、
>高安郡で18氏のうち12氏、安宿郡で8氏のうち6氏、交野郡で10氏のうち8氏、
>讃良郡で8氏のうち6氏…(中略)……河内国においては計68氏の70%が渡来系だった」。
>こうなってくると、飛鳥や奈良時代の日本人、
>とりわけ氏族階級というのは渡来系の方が主流派だったと言う以外ないでしょう。
URLリンク(www.jissensha.co.jp)
「飛鳥・奈良は渡来人が造った都」