12/02/04 01:10:06.82 67Sy5BaC0
>>699
埴原の二重構造説は、現在では大幅に修正されている。
縄文・弥生という二大集団がいるというところまでは正しいが、
縄文系D2集団は南方系ではなく、北方系であることが確定している。
縄文系には他のルートからはいった集団も合流しているが、
その比率は非常に低く、中核がD2集団であることは動かせない。
埴原は数十万人から百万人の弥生集団が朝鮮半島から侵入し、
縄文集団を周縁に追いやって、北のアイヌ、南の琉球人に分断したと
主張したが、日本人の40%はD2であり、縄文集団が日本人の中心でありつづけて
いることがわかった。
弥生集団は、長江流域から少数のグループで日本列島に漂着したのであり、
縄文集団を征服するような勢力ははじめからなかった。
縄文人は弥生人の伝えた水稲栽培の文化を受け入れ、弥生人と合流して
現代日本人を形成していった。もし、弥生人が縄文人を征服したのなら、
日本語はベトナム語に近い言語になっていただろうが、弥生人は少数集団だったので、
縄文語を原型にして日本語が出来上がった。