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★香山リカの「ほどほど論」のススメ 橋下市長個人にではなく〈橋下的なもの〉に感じる違和感。本当に必要なのはリダンダンシーのある社会ではないか
●なぜ私が橋下さんを批判するのか
私も、橋下さんの府知事時代の言動などに対して批判的な考えを明確にしてきました。
どの政策や言動に対しての批判かをここでひとつひとつ取り上げることはしませんが、私が懸念を感じるのは以下の点です。
「物事を何でも極端に白黒にわけて、黒はダメと一刀両断に切り捨ててしまう」
「自分に対する反対意見を徹底的に論破して否定し、多様性を認めようとしない」
一方で、世間では「スピード感がある」「はっきりしている」という肯定的な評価もあります。
しかし、切り捨てられる側のことを考えると、私としては、明瞭さやスピード感を素直に評価することはできません。
現代社会では、これほど〈橋下的なもの〉が支持される。
あるいはその「風」に乗って、橋下さんがさらに〈橋下的なもの〉を尖鋭化させていくのではないか。
私は、その「現象」に危惧を覚えているのです。
私は高齢化社会をテーマとした、政府のある委員会に参加させていただいております。
その会合でこんなことをおっしゃる方がいて、とても印象的でした。
「こういうことを決めるときには、窓口を一本化するなどという効率化も大事だが、ある種のリダンダンシーも必要じゃないか」
リダンダンシーとは冗長性のことです。
この場合、必要最低限のものだけでなく、ある程度の余地や重複がある状態を指しています。
同じような行政サービスは二ついらない、それは税金の無駄だと考えるのが現代の風潮です。
しかし、場合によっては、同じようなものが重複していることも、大切なことではないかと思うのです。
ダイヤモンド・オンラインから抜粋 URLリンク(diamond.jp)