12/01/26 16:12:20.08 0
私は原発事故以来、こうした問題を何度もメディアで取り上げ、昨年末には『平和主義ではない「脱原発」 現代リスク文明論』
(文藝春秋刊)にまとめ、とりわけ保守論壇に対して原発の是非を強く問い掛けてきた。
だが、問題のポイントを誤解せずに正面から受け止めて答える声はほとんど皆無である。
「平和利用」という美名に飾られた日本の原発は戦後の「一国平和主義」の象徴であり、
その矛盾が最悪の形で露呈したのが今回の事故である。もはやアメリカの「核の傘」は幻想にすぎないことは明らかであり、
今後アメリカの軍事予算の削減とともにアメリカの核による抑止力は弱まっていく。
ならば日本は独自に核を持つ必要があるが、45トンものプルトニウム、つまり5000発もの原爆は必要ない。
(※注:日本のプルトニウム保有量は60トンを超えないよう歯止めを掛けられているのだが、抽出されたプルトニウムは増え続け、
溜まりに溜まって現在45トンを超えている。プルトニウムが8キログラムあれば長崎型原爆が1個作れるので、
5000発以上の原爆の材料を保有していることになる)
ほんの数十の核ミサイルとそれを搭載する原子力潜水艦があれば、核武装した
膨張国家・中国に対する抑止力になる。そして、その抑止力を持つ自由を獲得するためには脱原発が必要なのである。