12/01/25 09:37:06.35 PsKbXKS/0
文豪 幸田露伴も昭和15年に「王家」と書いています。
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兼盛だとて王家を出で下って遠からぬ人ではあり、女児を得たい一心から相当に突張ったので
中里介山も王家と書いています。
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二大勢力というけれど、今日は鎌倉時代の昔、王家と武家という単純な二つの区別だけでは済みますまいね
正岡子規も王家と書いています。
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しかも二人共に王家の臣たる能はざりしは死してもなほ遺憾あるべきにや。
戦前の右派歴史学者が平然と「王家」と書いている例。
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喜田貞吉
それでもなお彼が平新皇を称するに至ったについては、彼が「王家を出でて遠からず」、桓武天皇から分れてまだ五代しかならぬ程の、近い皇胤であるという事の自信がこれを為さしめたのであった。