【マスコミ】批判再燃 "皇室を「王家」?" NHK「平清盛」に疑問の声 時代考証担当の本郷和人准教授は産経新聞で反論★3at NEWSPLUS
【マスコミ】批判再燃 "皇室を「王家」?" NHK「平清盛」に疑問の声 時代考証担当の本郷和人准教授は産経新聞で反論★3 - 暇つぶし2ch1:春デブリφ ★
12/01/24 22:40:03.93 0
・NHK大河ドラマ「平清盛」で、当時の皇室(天皇家)を登場人物らが「王家」と呼んでいることが
 議論を呼んでいる。中国の冊封体制下で「王」は「皇帝」に仕える立場であることなどから、
 王家の呼称は「天皇家の権威をおとしめる表現」との批判があるためだ。同番組の時代考証を
 担当し、本紙で「日本史ナナメ読み」を連載している本郷和人・東大史料編纂所准教授に、
 「王家」を使った理由を解説してもらった。
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なぜ天皇家、皇室という言葉を用いなかったか。ひとことで言えば、「平清盛」の時代には
使われていなかったから、です。
この時期には、天皇の血族をファミリーとして捉えるという概念がいまだ出現していない。
播磨の海、周防の灘、と命名しても「瀬戸内海」とまとめる言葉がなかったのと同じです。
近衛天皇の寺院、鳥羽上皇の御所、美福門院の荘園など、個別の名が用いられ、天皇家も
皇室も、また「王家」も、言葉としては定着していません。
それから150年、鎌倉時代末から南北朝時代、天皇家と皇室は依然として用いられていませんが、
「王家」が各階層で使われるようになります。たとえば、
◎皇族…花園上皇「(後醍醐天皇は)乱髪、小袖一、帷一を著せしめ給うと云々、王家の恥、何事これにしかんや」(『花園天皇日記』元弘元年別記10月1日)
◎貴族…北畠親房「王家の権さらになきがごとくになりぬ」(『神皇正統記』二条天皇)
◎武士…結城直光「昔より誰の家か、王家の相門を出ざるや」(『源威集』前九年の役のこと)。

どうして「王家」が登場したかというと、「平清盛」の時代、天皇イコール「王」だったことが素地に
なったのです。この頃、天皇という呼称はあまり使われず、みかど・主上、それに「王」が用いられた。
藤原信西の主導のもと制定された保元元年の新制(新しい憲法)は冒頭で「九州の地(日本全国)は
一人(天皇)のもつところなり。王命(天皇の命令)のほか、なんぞ私威を施さん」と力強く宣言します
。(つづく)
 URLリンク(sankei.jp.msn.com)
※前(★1:01/24(火) 14:20:40):スレリンク(newsplus板)


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