12/01/23 10:16:38.65 0
(>>1のつづき)
ただ、その分析には社会現象を象徴する個人が含まれることもあります。触れざるを得ない
ときには、細心の注意を払います。
繰り返しますが、橋下さんご自身の内面的なことを問題にしているのではありません。私は、
テレビやネット、新聞や雑誌などのメディアに流れていて、誰にでも触れることのできる橋下さんの
発言や行動から見えてくる〈橋下的なもの〉に対して物を言っているだけなのです。
個人的にお会いしたとしても、その印象を公の場で語ることはありません。仮にその方の
精神的な何かを感じたとしたら、なおさら普段の言論にも注意深くなるものです。精神科医
という仕事柄、多くの人に誤解を与える恐れがあるからです。
橋下さんは、私たちのような批判を向ける人たちに対し、テレビの討論番組に出演することを
要求しています。しかし、こうした問題は、テレビなどの公開討論の場で勝ち負けを競うような
性質のものではないのではないでしょうか。意見の違いが、ディベート技術の競い合いで発展的な
ものにつながると思えないからです。
短時間で行われる公開討論のなか、その場の感情や雰囲気でやり取りをしても、見ている人に
ライブとしての面白さは提供できても、それで相互の意見の理解が深まるものでしょうか。
私がなぜ社会病理的なものを感じているかという点について、もし橋下さんがお聞きになりたいと
思われるのであれば、落ち着いて推敲した文章という形でお渡しすることはできると思います。
それでも、と言われたら、もちろんテレビの前で議論することもあるかもしれませんが、
仮にその場のディベート技術で橋下さんに言い負かされた形になったとしても、今後の政策や
言動を見て行く中で、「おかしい」と思うことは「おかしい」と言うと思います。
私が問題だと感じている現象がある限り、見て、分析して、言うべきときには批判的な意見を
言うということに変わりはありません。
ただ、なぜ自分が得意とするテレビ討論というフィールドでのみ、論戦を交わそうという手法に
こだわるのかがわからないのです。(以上、抜粋)