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474 名前:本郷和人「謎とき平清盛」p62~p64[sage] 投稿日:2012/01/13(金) 02:55:34.59 ID:MnernIeu0 [2/3]
<ドラマ・平清盛>では、天皇や上皇の家を「王家」と称します。
ですが、今までの大河ドラマでは、天皇家とか皇室とかの語を用い、王家とは言わなかった。
どうして今回は新しい呼び方を取り入れるのか。
先ず押さえておかねばならぬのは、当時の言葉の使い方です。当時の人々が天皇家や皇室と言っているのに、
番組が王家と呼んではおかしなことになります。そこで調べてみると、天皇家も皇室も王家も、
使われていない、が正解です。当時は天皇や上皇や皇太子や女院などをひとまとめにして「ファミリー」
として考える、ということをしなかった。播磨灘や周防灘といった海はあった。でも中世には、それらをまとめて
「瀬戸内海」という一つの内海と捉えることはなかった。それと同様です。すると、天皇家と呼んでも
王家と呼んでも、間違いではないことになる。
ある研究者の整理(「<王家>をめぐる学説史」歴史評論二〇一一年八月号)によると、王家という語が
用いられるようになったのは、第一章(3)でふれた黒田俊雄氏の権門体制論からのようです。
黒田氏は公家・武家・寺家に呼応するかたちで、王家と称した。黒田氏によれば、天皇は日本の国王、
と位置づけられていましたから、この用い方は妥当なものといえるでしょう。
その後、西洋史の影響を受けて、日本の歴史学でも「王権」の分析が盛んになりました。
戦前のように、日本の天皇は他国に例を見ない唯一無二の存在である、というのではなく、
天皇を国の頂点に君臨する王と捉える。そうすると自ずと他国との対照・比較の視点が開け、
東アジアの中の日本、世界の中の日本を考える際にも有用である。
ですので、現在の学会では王家という呼び方が確実に市民権を得ているのです。そこで時代考証の判断として、
学問的な見地から、「王家」の語の採用を提案しました。