12/01/13 19:31:53.83 vy0Cymqj0
当時使われてた表現しか使わなかったら、大河「ドラマ」にならんわ
保元の乱のときに「法性寺殿が~」「安芸守殿が~」とかいわれても誰が誰やらさっぱりだw
>>986
じゃあ歴史学で、院政期の天皇家に限って「王家」という用語が使われたのは何で?
995:名無しさん@12周年
12/01/13 19:33:00.23 YUhEg3PR0
犬HKって見てるのじじばばだけだろ
996:名無しさん@12周年
12/01/13 19:33:24.93 Dp9BWKITO
平安時代は御門(帝)が頂点で他の一門は家臣団。
だから、今でいう天皇家の概念はない。
997:名無しさん@12周年
12/01/13 19:33:57.27 PpKEjx9T0
平家物語では官職を使って言ってるから別にそのまま使ってもドラマにならないことはない。
映像があるのだから古典を読むより優しいくらいだろう。
ただ単に、当時の風俗に則りたくないんだ、という話なだけじゃないの。
998:名無しさん@12周年
12/01/13 19:34:00.92 ijTkwJsJ0
>>994
このドラマの時代考証の学者によればこう
>>10
ある研究者の整理(「<王家>をめぐる学説史」歴史評論二〇一一年八月号)によると、王家という語が
用いられるようになったのは、第一章(3)でふれた黒田俊雄氏の権門体制論からのようです。
黒田氏は公家・武家・寺家に呼応するかたちで、王家と称した。黒田氏によれば、天皇は日本の国王、
と位置づけられていましたから、この用い方は妥当なものといえるでしょう。
その後、西洋史の影響を受けて、日本の歴史学でも「王権」の分析が盛んになりました。
戦前のように、日本の天皇は他国に例を見ない唯一無二の存在である、というのではなく、
天皇を国の頂点に君臨する王と捉える。そうすると自ずと他国との対照・比較の視点が開け、
東アジアの中の日本、世界の中の日本を考える際にも有用である。
ですので、現在の学会では王家という呼び方が確実に市民権を得ているのです。
999:名無しさん@12周年
12/01/13 19:34:38.72 vy0Cymqj0
>>992
結局「俺の使ってほしい表現を使え」ということじゃんw
>>996
何で院が治天の君として采配ふるえたか知ってる?
1000:名無しさん@12周年
12/01/13 19:34:40.72 NsaZ0FRi0
>>978
それでお前は当時皇室にあたる概念があった派?なかった派?
ないなら王家じゃなくても良いよな?
無いものに言葉を当てはめてるだけなんだから
概念があってそれが王家というなら、同時に他の文献にある朝家でも良いよな?
なんで王家じゃないど駄目なの?
1001:1001
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