12/01/10 19:08:18.28 tbosixU/0
>>368 の続き
【王家という言葉は正しいか】②
このように当時は今で言う天皇家、公家、武家が激しく権力闘争をしていた時代ですが
この時代の天皇家をなんと呼ぶべきかは問題です
天皇家というのは戦後マルクス派というむしろ天皇廃止派が使い出した言葉
それにこの時代は家の頂点にいるのは院政を敷く上皇(治天の君)で、その下に何人も上皇がいてさらに下に天皇
この大河ドラマでいうと天皇家の家長として君臨しているのは天皇である鳥羽天皇ではなく、白河法皇である
これを天皇家というのは変です
ここから鳥羽上皇による院政と崇徳帝への圧迫、崇徳上皇と後白河天皇による保元の乱、後白河院政と外戚としての清盛、と「治天の君」と「天皇」という対立軸が
物語において重要なファクターを占めてくるわけで
「後白河法皇の天皇家」と「安徳天皇の平家」の対立と言ったらかえって分かりにくいでしょう
そのためこの時代の中世研究では「王家」という用語を使うのは一般的です