12/01/10 19:05:05.60 S6mAVbhN0
>>338
おい平氏エキスパートが書いてるぞ
techlabjpnさん
「皇室を王家と表現する根拠」とご質問にありますが、
皇室(皇族)という言葉は『国史大辞典』(吉川弘文館)によると、
『続日本期』天平8年(736)11月壬辰条に「辞皇族之高名」とみえるのが古い用例で、
この語が制度上の用語として明確に規定されたのは明治22年(1889)2月制定の皇室典範から。
天皇という言葉も7世紀以後の日本の君主の公式称号、またその地位についた人。
では、それ以前はどのように呼ばれたかというと大王(おおきみ)と呼ばれました。
稲荷山古墳出土の鉄剣銘に辛亥年(471または531年)7月中「ワカタケル大王」(雄略)とあります。
大王の一族を王家と呼んでいます。
聖徳太子の血を引く上宮王家という例もありますから、「皇室典範」の規定より緩い感じですね。
「朝貢」は中国の皇帝に貢物を捧げ、回賜を得るという貿易の形態で、
倭の五王(履中・反正・允恭・安康・雄略)も朝貢していると記録にあります。
しかし、ご質問が古代史関連の記事にではなく、清盛の項にあるので、
趣旨に沿った答えになっているでしょうか?