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■菅前首相の勘違い
たとえ隠したいと願っても、隠しきれるものではないのだろう。
東京電力福島第1原発事故に関する政府の事故調査・検証委員会が昨年12月にまとめた中間報告で、
当時の首相官邸、とりわけ菅直人前首相自身のパニックと暴走が無用の混乱を招いていたことが改めて
裏付けられた。
現場は過酷な条件の下、第1原発1号機のベント(排気)に半ば死を覚悟して取り組んでいた。ところが
菅氏は東電側が「ベントをためらっている」と誤解し、いらだちを募らせた結果、東日本大震災翌日の
3月12日早朝に急遽(きゅうきょ)、現地に乗り込んだ。
「首相の対応に多くの幹部を割く余裕はなく、自分一人で対応しようと決めた」
吉田昌郎所長(当時)は事故調にこう証言している。政府の現地対策本部長だった池田元久前経済産業
副大臣も、菅氏の様子を東日本大震災発生後5日間を記録した覚書にこう書いている。
「初めから詰問調であった。『なぜベントをやらないのか』という趣旨だったと思う。怒鳴り声ばかり聞こえ、
話の内容はそばにいてもよく分からなかった」
「『何のために俺がここに来たと思っているのか』と総理の怒声が聞こえた。これはまずい。
一般作業員の前で言うとは」
当時、菅氏の周辺は盛んに「ベントの指示を出したのに東電がなかなかやらなかった」との
情報を流していた。
だが、その間の事情を知る官邸筋は明言する。
「それは大嘘だ。むしろ官邸側は東電に、『何事も指示なく勝手に進めるな』『官邸の了解なしに
判断するな』と指示していた」
菅氏の無理な現地視察がベント作業の遅れにつながり、水素爆発が起きた可能性は
否定できない。