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非常時の避難路か、それとも給湯管を通すスペースか―。大分県別府市の中心部で
謎の地下トンネルが見つかった。
終戦後、周辺一帯は進駐軍に接収され、11年にわたって駐屯地になっていた。
何に使われたのか不明だが、進駐軍の手で掘られた可能性が高く、市教育委員会は
文化的価値などの調査を検討している。
地下トンネルが見つかったのは、野口原地区の市立別府商業高校と、西に約1キロ離れた
鶴見園町の住宅街の2か所。
市教委によると、別府商高では、敷地内の通路にある鉄製の蓋(縦、横とも約80センチ)を開け、
トンネル側面に金属棒を打ち込んだはしご状の足場を伝って地下に下りられる。
トンネルの断面は高さ約1メートル、幅約2メートルの長方形。天井と床はコンクリートで固められ、
両側面は石垣が組まれていた。蓋の位置から南、北、東の3方向にそれぞれ約50メートル延びて
行き止まりになっており、道路工事などのためにふさがれたとみられるという。
鶴見園町の住宅街でも同様な構造で、東西方向に「へ」の字形に延び、枝分かれした部分も含め
総延長約400メートル分が確認された。住宅の基礎部分などで寸断されていた。
終戦翌年の1946年から57年まで進駐軍が周辺の44ヘクタールを駐屯地(通称キャンプ・チッカマウガ)
として接収しており、今回見つかったトンネルはいずれも当時点在していた将校宿舎の地下を走っているという。
トンネルの発見者は、現代美術作家の山田健二さん(28)(東京都杉並区)。東日本大震災後、
別府市に一時滞在していた際に「市中心部に地下トンネルが張り巡らされている」とのトンネル伝説を耳にし、
住民から聞き取りを続けた結果、昨年5月、鶴見園町の住宅街で入り口を見つけた。
ほかにもないか捜し、別府商高でも地下に通じる蓋を発見した。
ソース
読売新聞 URLリンク(www.yomiuri.co.jp)