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>>1(の続き)
と聞いた。交渉の最大のネックが台湾問題で、当時、蒋は中華民国(台湾)総統、中国と敵対している。周は言下に、意外な答えをした。
「彼は中国人の代表だ」
「しかし、あなたたちは追いかけたり、追いかけられたり、死刑の判決をやり合ったりしてきたではないか」
と田中はたたみかけたが、
「蒋介石は世界に誇る中国人の代表の一人だ」
と周は再びきっぱり言う。
「なぜか」
「あなたも知っているように、あの第二次世界大戦を通じて、一国の統帥権を連合国に委任しなかったのは蒋介石だけだった」
田中はさらにズケズケと言い、2人は短時間のうちに信頼関係を深めていく。
「周首相の答えを聞いて、懐の深さにびっくりした。ただ者でない。傑物だ」
と、田中はのちに述懐した。
翌73年10月の訪ソ。クレムリンでブレジネフ書記長、コスイギン首相に田中はのっけから切り込んだ。
「日本人はソ連に対して許せないという感情がある。それは昭和20年8月9日にソ連が日ソ中立条約を破って参戦したからじゃない。
日本があっさり無条件降伏した時に、中国政府は大陸にいた数百万人の日本軍兵士や在留邦人を『母のもとに帰れ』と送り返した。
ところがソ連は何十万という関東軍の兵士をシベリアに連れていったじゃないか」(>>3-5へ続く)
毎日新聞 2012年1月7日 東京朝刊
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