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(>>1の続き)
一行は見つからないよう夜のうちに出港して、博多を目指した。ところが、その漁船が想像以上の
オンボロ船だったらしく、途中で浸水してきた。このままでは本当に沈みかねない。
「母の話では、そのとき三憲さんは、『だから、オレは日本になんか帰りたくなかったんだ』と大泣き
したといいます。後にも先にも三憲さんが、それほど我を忘れて泣きわめいたのは、そのときだけだった
そうです」
仕方なく船は針路をかえ、韓国に戻った。だが、密航船だから大声で助けを呼べない。そこで知恵者が
「私たちは日本から渡ってきました」とウソをついて、何とか救出してもらうことができた。
孫鍾慶らは、その後、別の船で博多の志賀島に無事上陸した。博多でしばらく過ごした一行は、知人に
誘われて鳥栖に行き、駅前の朝鮮部落にやっと居を定めることができた。
「もし、日本に向かう密航船が沈没していたら、孫正義も生まれていなかったし、ソフトバンクも存在
しなかった。もちろん私も生まれていませんでした(笑)」
二つ目の危機は現在も続く問題である。
「私は小さい頃、飯塚に住んでいたんですが、近所の貧しい朝鮮人一家が、急に夢でも見たような、
幸せそうな表情になったんです。その家族は、それから二、三日後に、町から忽然と消えました」
彼らは、「北朝鮮はこの世の天国」という総連の帰還事業の口車に乗せられて、北朝鮮に渡っていった
家族だった。
「あの一家はいまどうしているのか。それを考えると、孫鍾慶さん一家が総連の口車に乗らなかった
ことだけは、本当によかったと思うんです」
(『あんぽん 孫正義伝』より抜粋)
-おわり-