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★ファシズムやナチズムが、ヨーロッパの基本原則を脅かす存在であった歴史を知るが故に、
我々現代人は、「反韓主義(≠嫌韓)」について、通常の解釈や説明を受け入れるわけにはいかない。
ドラッカーが『「経済人」の終わり』で浮き彫りにした問題の多くは、世紀をまたいでなお、持ち越されている。
「全体主義の指導者原理」(ドラッカー「経済人の終わり」P225)と「それに熱狂する民衆の分析」は、そのまま現代の反韓やネトウヨに当てはまる。
また、「大衆の絶望」「虚無主義への逃避」といった危うい状況を安易に払拭するための、「現代の“反”ユダヤ主義に当たる批判の象徴探し」(≠“嫌”ユダヤ主義)も始まっている。
■反韓主義は全体主義
「“嫌”韓主義…韓流嫌い(好き嫌い)」と「“反”韓主義…テレビなどから韓国排除を積極的に望む事」は別問題。
ナチスが選挙公約に反ユダヤ主義を掲げた際に、「選挙向けのスローガン」「ただのユダヤ人嫌い(“嫌”ユダヤ主義)」としか思われなかった。
しかし、ドラッカーだけは、反ユダヤ主義がユダヤ大虐殺に発展することを予言。
◆「それを真面目に受け取っていた私は、馬鹿なお人よしだと何度もいわれた」
by ドラッカー『経済人の終わり』(P20)
■「大衆の絶望」こそ、全体主義を理解する上でのカギ…やらないと現実の不安に負けてしまうから、さらにやってしまう、そしてもっと不幸に
全体主義は、「あらゆるものの否定」《絶望の闇》においてのみ、存在している。
逆に言えば、『全体主義は、何一つ積極的な価値を打ち出すことが出来ない』、そういうものなのだ。(現在の反韓主義も、積極的な価値を生み出さない)
大衆は、失業や貧困などの「現実の絶望」から、「(現実の)絶望を絶望で否定し忘却させる」全体主義を支持する。
『全体主義は「自身の現実の不満(絶望)を何一つ解決してくれない」が、
「全体主義を信じないならば、悲痛な現実(の絶望)に目を向けなければならなくなる」ため、ますます全体主義を信じようとする』。
希望が色あせ、絶望に染まっていく。絶望している者を引きずり込む絶望の闇は、絶望の匂いを嗅ぎ付ける。そして、絶望の闇に呑み込まれる。全体主義は麻薬。