12/01/07 01:56:05.87 6GCPNW3u0
昭和61年暮れ、月刊「文藝春秋」新年号が「浩宮妃を決定する10の条件」(河村信彦)を掲載した。
冒頭にキリスト教事件の際、「天皇陛下が激怒」と書かれた部分が昭和天皇のお目に留る。
「私は怒っていない。このようなことは事実がないばかりでなく、心に思ったことさえなかった。
この文字通りを東宮職に伝えるように」
サイドの引用例を読まれた天皇はすぐに側近に申しつけられたという。
昭和54年以前に訂正の要を指摘されていた事実は先述した通りだ。
さらに昭和天皇が「流動」の座談会記事を採録した本を読まれ、藤島泰輔の発言が誤りであり
「東宮妃に対して激怒した事はない。訂正の必要を認める」と言われたと、皇居から東宮職に伝わった。
(中略)
その後会場で私は陛下(明仁陛下)と私的に会話した。(中略)
「ところで、村井さんはあの場にはいなかったんだよ、昭和天皇に美智子が呼びつけられるというこは、なかった。
「美智子さまの恋文」p126より引用
昭和天皇の激怒なんてなかった
常陸宮が「僕はキリスト教を信仰したい」と言い出し、信仰はダメと、昭和天皇に怒られ
それを旧華族と宮妃が、美智子さまにそそのかされたに違いない→昭和天皇に呼び出されて土下座させられたんだって
ちなみに常陸宮は子供の頃から、キリスト教にのめり込んでいた
身体が弱かったのと、侍従に熱心な信者がいたせい