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1月12日に発売される『あんぽん 孫正義伝』(小学館刊)。著者の佐野眞一氏は、同書のなかで、
孫正義氏の出生と、もしかしたら産まれなかった可能性について、同書の中で以下のように紹介している。(文中敬称略)
『焼肉仁』の経営者・大竹仁鉄によれば、もしかすると、孫家には孫正義がこの世に生まれなかったかもしれない危機が二つあったという。
大竹はそう前置きして、孫家の知られざる家の履歴書を語り出した。
「これはうちの母(清子、孫鍾慶(正義の祖父)の次女、三憲(孫正義の父)の姉)から聞いたんですが、
孫鍾慶さんは、戦争が終わって故郷の大邱市郊外に一度帰ったそうです。
そのとき孫鍾慶さんに同行したのが、母の清子と中学一、二年生だった三憲さんでした。
ところが帰ったものの、故郷は田畑も荒れ、みんな貧しい生活をしていた。
孫鍾慶さんたちが故郷で小さい商いを始めたときも、親類からものすごい嫌がらせをされたそうです。
『うちの一族は商売なんかする家柄じゃない』ってね。孫家は先祖が武人だったり学者だったりという家柄だから、
商売なんてやるのはとんでもない、という感覚だったらしい。
それで『これでは日本に帰った方がましだ』と思い、再び日本に帰ることにした。
といっても、密航です。やはり日本から引き揚げたものの、故郷の荒廃を見て日本に戻る人たちがいた。
その人たちと一緒になけなしの金を集めて、ぼろい漁船を調達したそうです」
一行は見つからないよう夜のうちに出港して、博多を目指した。ところが、
その漁船が想像以上のオンボロ船だったらしく、途中で浸水してきた。このままでは本当に沈みかねない。
「母の話では、そのとき三憲さんは、『だから、オレは日本になんか帰りたくなかったんだ』と大泣きしたといいます。
後にも先にも三憲さんが、それほど我を忘れて泣きわめいたのは、そのときだけだったそうです」
仕方なく船は針路をかえ、韓国に戻った。だが、密航船だから大声で助けを呼べない。そこで知恵者が
「私たちは日本から渡ってきました」とウソをついて、何とか救出してもらうことができた。
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