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1930年に前身の教育団体、創価教育学会が誕生してから81年、戦後高度成長と時を同じくして
爆発的に増やした信者数は、1000万人以上ともいわれる。創価学会という特異な宗教団体と
池田大作というカリスマ指導者に迫った週刊ポストの連載『化城の人』。ノンフィクション作家の
佐野眞一氏は、池田が生まれた地を訪ねた。(文中敬称略)
* * *
池田大作こと池田太作(二十五歳のとき改名)は、昭和三(一九二八)年一月二日、東京府荏原郡
入新井一八三番地(現・大田区大森北二丁目一三番地)で生まれた。十人兄弟の五番目(兄四人、
姉一人、弟三人、妹一人)だった。父の池田子之吉は、近くの羽田沖の海苔養殖で細々と生計を立てていた。
池田の生家は、JR大森駅東口と京浜急行大森海岸駅西口の間にはさまれた一画にあった。明治大正
時代、そこは赤銅色の肌をした半裸の男たちが行き交う貧しい漁師町だった。だが、いまここに漁師町の
面影をとどめるものは何もない。
それは当然想像していたが、池田の生家が近隣を含めすべてイトーヨーカドーの巨大な店舗の真下に
消えていたのには驚いた。ヨーカドーの前はアサヒビールの工場、その前は中島飛行機などに飛行機
部品を納めるメッキ工場だった。
その激しい変貌ぶりは、「桑田変じて海となる」の例え通りで、池田が子どもの頃、海苔屋ばかりが
並んでいたという町の風情はどこにもなかった。
>>2に続く
ソース NEWSポストセブン 2011年12月26日
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