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北朝鮮から韓国に亡命した元外交官ら2人が読売新聞の取材に応じ、たとえエリートであっても
理不尽な理由で一瞬のうちに窮地に追い込まれる北朝鮮の恐怖政治を語った。
2人は金正日(キムジョンイル)総書記の死をきっかけに、体制が転換することを願っている。
「独裁の終わりだ」。脱北者支援団体「北韓民主化委員会」委員長の洪淳京(ホンスンギョン)さん
(73)はソウル市内の事務所で声をあげた。19日昼過ぎ。テレビは金総書記の死去を伝えていた。
洪さんは1996年まで、タイの北朝鮮大使館で大使や公使に次ぐ参事官として勤務。退官後も
タイにとどまり、北朝鮮企業の現地支社長に就いていた。
安定した生活が急転したのは98年。理由は今もはっきりしないが、「日本企業に技術を売ろうと
している」との虚偽の情報を秘密警察に密告されたようだ。突然の帰国命令が出され、従った
社員らは身柄を拘束されたと聞いた。
帰国命令が出た後、妻と共にホテルを転々としていた洪さんも99年3月、北朝鮮の秘密警察に
見つかった。だが、車で連行される途中、抵抗したため車が横転。そのすきにタイの警察当局に
保護を求め、2000年、韓国に亡命したという。
北朝鮮に残した長男(42)とは亡命後、連絡が取れない。「死んでいるかもしれない。金総書記が
憎い」と洪さんは涙声になった。
北朝鮮の社会情勢に詳しい韓国統一省傘下の研究機関「統一研究院」の朴英●(パクヨンホ)氏に
よると、北朝鮮では、金総書記の意に沿わない言動は処罰の対象となり、「革命化事業」と称して
農場や収容所に送られるという。(●は金へんに「高」)
北朝鮮で大学教授の地位にあった金興光(キムフングァン)さん(51)も2001年、農場送りと
なった。きっかけは、「釣りバカ日誌」など日本や韓国の映画のビデオを所持し、知人に見せたことだった。
農作業は午前8時から12時間も続き、トウモロコシの混じったご飯などを与えられるだけだった。
「人間の生活ではない」。8か月後に教壇に戻ったが、恐怖心を消せず03年に脱北した。
▼YOMIURI ONLINE(読売新聞) [2011年12月25日09時34分]
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