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「大人物出でよというのはかつて政界の常套語であったが、これは今いる連中がみな凡庸だという
意味の反語であったかもしれぬ」「丸太棒であれ鸛(コウノトリ)であれ、何か自分たちを
統御してくれるものを恋しがっていた者は多いのである。しかしその適任者が仲間の内に、
今まで埋もれていたということはあまり喜ばなかった。英雄はもう少し毛色の変わった馬に乗って、
雲の彼方より出現してこなければならなかった」
これは、民俗学の泰斗である柳田国男が1930年に書いた「明治大正史世相篇」の「英雄待望」の
章の文章だ。この本には文明時評的なところがあるが、この部分も皮肉で面白い。
橋下徹氏が大阪市長になって、きのう初登庁した。知事・市長のダブル選挙で圧勝したことから、
中央政党も慌てて彼の「大阪都」構想に色目を使い始めた。メディアも同様で、市長選勝利後の評論や
コラムでも、以前に比べて好意的な評価が目立つ。「改革の意欲は見るべきものがある」などというような…。
一方、彼を「独裁者」と呼ぶ人たちの間では「ハシズム」という言葉が常套語だ。橋下氏は弁護士で、
テレビのバラエティー番組で人気が出た。たしかに「仲間の内」からではなく「毛色の変わった馬に乗って、
雲の彼方より出現して」きた。英雄の条件は備えているのかもしれない。
問題は、彼に75万もの票を入れた有権者の方にある。たしかに、東京に圧倒されている大阪の
人たちにとって「大阪都」は耳に響きがいい言葉かもしれない。しかし、具体的な中身は未知数だ。
わけが分からないようなものに対して「何かが変わるかもしれない」と期待をかける。「独裁」が、
マイナスイメージどころか「何か自分たちを統御してくれる」プラスイメージになり、それが将棋倒しのように
圧倒的な数に膨れ上がる。既に指摘されているように、その形は小泉純一郎元首相に似ている。
>>2以降に続く
ソース:URLリンク(www.47news.jp)
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