11/12/08 02:02:09.46 fHrtdY6N0
>>466
言ってることはわかる。
その場合の問題の根幹は、そもそもなぜ最初に科学的妥当性のある規制値にしなかったのか?
ということになる。
規制値は食品の安全のために設けた。それは間違いがない。その時に大変厳しい基準でもいけそうだから、めちゃくちゃ厳しい基準にした。
状況が変わって、その規制値だとほとんど全ての福島食品がアウトになった。
じゃあ変えよう!
これで大部分の国民には絶対に通らない。
大事なのは 「信用されている」規制値だ。そうでないと、国民は規制値を指標として用いなくなる
状況の変化に合わせて 規制値をちょくちょく変えるのは禁忌事項に当たる(信用されなくなる)
そして政府の安全のための諸検査はなにやらかなりぬるくやってたようなのは、今までの事例からわかるべ(安全宣言出した後に次から次へと規制値越えが出る)
こういった行為によって規制値は意味をなさなくなった
政府は今まで国民をちょろまかす行為を色々とやってる
そうした行為の結果、政府の発表は意味をなくし、政府が何をいっても かなりの部分の国民は政府を信用せず、福島というだけで避ける
俺もその一人。安全宣言出されても、どうせぬるく検査してただけだろうと思ってた。
こういう状況では政府が信用できるかどうかで判断するが、俺は信用できないと思ってる
だから福島は買わない。色々とよろしくないことがありそうに思えるから
規制値設けるにしてもなんにしても 大事なのは 国民に信用される振る舞いを続けることだよ
それができないと俺のような主張に妥当性が出てくる