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戦前の日本
〇 祭日や記念日には、これに国旗掲場や教育勅語の朗読が加わわりました。
これらの儀式には町村長その他地域の知名士も参加していました。
黙とう始めの号令で黙とうが始まると、燕尾服に身をつつみ、白い手袋をつけた校長が、
「奉安殿」の扉を開け、教育勅語を取り出して朗読する間、ほとんど頭を下げたままの連続でした。
〇 1933年(昭和八年)頃、沖縄本島南部の第一大里小学校長が、御真影の件で責任をとり、
割腹自殺をはかった事件があったくらい、校長にとっては責任の重いものでした。
〇 学校は、「国体の本義」と「臣民の道を一人ひとりの子どもに徹底させることが最高の目標でした。
〇 国体の本義を簡潔にいうと「万世一系」「忠君愛国」「義勇奉公」の3つになり、
教育勅語の精神をいかに徹底させ得たかが、教師の指導力のバロメーターでもありました。
〇 天皇制教育は食事の面にまでも及んでいて、
「薯とらば天地御代(あめつちみよ)の御恵み君と親との御恩味わえ」
(これからいただくものは天皇陛下のお恵であるから、
天皇陛下と親に感謝していただきます)の歌を歌いました。
知れば知るほど、北朝鮮にそっくり。