11/12/06 18:51:27.99 QzfD8/V50
>>661
>敗戦するや否やマッカーサーに取り入り必死に命乞い。
また薄汚い朝鮮人がソースのない駄文を張り付けて喜んで居るわ。
品性下劣な朝鮮人は捏造を持って出しか皇室を貶められない。
そんなものは言論の自由ではない。お前はまさにゴキブリである。
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昭和20年8月15日、昭和天皇のラジオ放送によって、
日本の敗戦が国民に知らされた。
「耐えががたきに耐え、忍びがたきを忍び、以って万世のために太平を開かんと欲す。」
この頃、天皇が愁いていたのは、占領軍の方針だった。
天皇は、自分の臣下だったものが、戦争犯罪人として裁かれることを心配していた。
木戸内大臣に天皇はこう漏らした。「自分が一人引き受けて、退位でもして収めるわけには、いかないだろうか。」
(略)
「まず側近は、生きて帰れるかどうか心配したんですね。
陛下は、決死の覚悟で乗り込んだわけです。
日本の運命と自分自身、皇族の運命がかかっていましたからね」。
(略)
天皇の語った言葉は、次のようなものだった」。
天皇は「私は、国民が戦争遂行するにあたって、
政治、軍事両面で行ったすべての決定と行動に対する全責任を負うものとして、
私自身を、あなたの代表する諸国の採決に委ねるため、お訪ねした」。
昭和天皇とマッカーサーの最初の会見のときの米国通訳官の証言
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