11/11/30 22:35:15.91 gLv7C8pT0
>>50
だってその頃の埼玉、特に東京寄りって人いなかったもん。
#川口が市になったのが昭和8年、浦和が市になったのが昭和9年
1920年(大正9年)の第1回国勢調査人口では、埼玉県の総人口は約130万人。
川越町はおよそ25,000人で1位。県庁所在地の浦和町(現・さいたま市浦和区)の2.5倍、
大宮町(現・さいたま市大宮区)の2倍の人口を擁していた。
川越町の町域は当時の市街地の一部に過ぎず、街は町域外に拡大、
明治以降、人口は主に旧仙波村など隣接地で増加していった。
川越は昭和になっても埼玉県内で最大の人口の都市であった。