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★電通元社長、成田豊氏が死去 日韓W杯共催を後押し
・広告代理店最大手の電通元社長で、日本広告業協会会長などを務めた
成田豊(なりた・ゆたか)氏が20日、肺炎のため死去したことが21日分かった。
82歳。葬儀・告別式は近親者で行う。喪主は長男、哲(あきら)氏。
日本統治下の朝鮮半島で生まれ、昭和28年に電通入社。新聞雑誌局長、
営業局長などを経て、平成5年に社長に就任した。13年の東証1部への株式上場や
14年の東京・汐留への本社移転などで手腕を発揮したほか、同年の会長就任後も、
電通の海外との連携を指揮した。
16年には、同社最高顧問に就任。17年に社団法人・日本広告業協会の会長も
歴任し、名実共に日本広告界のトップとして活躍した。
韓国で生まれ、日本と韓国の友好にも力を注いだ。2002年のサッカーワールドカップ
日韓大会では、共同開催を後押しした。21年には、韓国政府から修交勲章光化章、
日本政府からは旭日大綬章を受章した。
URLリンク(sankei.jp.msn.com)
※Wikipediaより。
・電通の新聞雑誌局長や営業総務担当取締役などを経て、1993年に社長に就任。
2001年の株式上場や汐留新本社移転などを指揮した。社団法人・日本広告業協会の
会長も務め、名実共に日本広告界のトップである。この他にTBSの役員なども務めていた。
韓国が遅れて招致に乗り出した2002年のサッカー・ワールドカップでは、日韓共同開催を
主導した。(抜粋)
・アジア初のワールドカップ開催に日本が立候補すると知った韓国は「アジア初」を賭けて
日本に続く形で1993年11月に立候補を表明、1994年に招致委員会を組織した。
日本よりも招致活動に出遅れた韓国は、同1994年にFIFA副会長に選出された鄭夢準大韓サッカー
協会会長を先頭にして、現代財閥を中心に韓国国内の政財界をあげての招致活動に乗り出し
「南北朝鮮共同開催案」を持ち出すなどして日本の招致活動に激しく対抗した。(抜粋)
※前:スレリンク(newsplus板)