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6 1982年当時、漫才ブームで人気のあった山田邦子や春やすこ・けいこが「ぶりっ子」ネタでさかんに
聖子を揶揄していて、女性が堂々と聖子ファンを公言するのは難しい状況だった。
一方で、クラスの女子のほとんどが聖子ちゃんカットだったりして、聖子が若い女性達にとって気になって
仕方がない存在であることも事実だった。
7 この微妙な空気を、一気に聖子側に風を吹かせ始めるには、どうしても「ぶりっ子」批判を克服する
必要があった。
8 そのための起死回生の案こそが、当時若い女性にとって神様的存在であった松任谷由実が聖子を
認めることと、ぶりっ子の象徴であった聖子ちゃんカットと決別することだったのだ。
9 これにより女性達は堂々と「聖子ちゃん大好き」と言えるようになったのである。