12/07/15 22:20:51.39
>>6
つづき
湯川の偉さと南部のすごさ 精神と実力
湯川先生の「偉さ」がわかる人にも南部の「すごさ」はわかるとは限りません。湯川は精神の高さで卓抜し、南部は能力の高さで卓抜しています。
そして、能力に関しては、人は自分を超えるものを評価できないからです。南部の受賞が遅れた理由はここにあると思います。
南部の仕事から「すごさ」を知ることは難しいとしても、南部が書いたもの、話したことから「すごさ」に近づくことはできます。
まず『クォーク』(講談社・ブルーバックス)は南部が、一般向きに本気で書いた本で、最良の手引きです。ただし、一見平明ですが、抜けも余分もない論文のような記述なので、読んだことを完全に理解しながら進む人でないと、途中で放り出すかも知れません。
そこで、一般の人にも南部さんの「すごさ」がわかるのは、インタビューに答えて、何気なくもらした言葉かも知れません。
南部はアメリカ在住五〇年ですから、当然英語は完壁なので、「何語で考えるのですか」という質問に対し、「だいたい数式で考えます」と答えています。
また、「私は計算は、だいたい頭の申でやります」とも答えています。
計算といっても勘定書の計算ではなく、理論物理の計算です。
ギリシャ文字の数式を移項したり微分したりの計算ですが、紙何枚にわたる数式が、頭の中に完全に正確に見えていなければ出来ない計算です。
紙に書いて計算するより、その方がはるかに速いし、先が見えるからでしょう。将棋の名人も同じでしょうが、常人のとても真似できない精神集中の結果と思います。
精神集中というと、沈思黙考、自己沈潜の人を想像しますが、仕事から見える南部の人柄は違います。
大物理学者を、自己の思考にだけ集中して一挙に真理に達する湯川秀樹タイプと、最高の武器を手に入れ、つねに最先端での計算を絶やさない朝永振一郎タイプに分けると、南部は基本的には朝永タイプです。
しかし、自分の思考を確信し、大胆なことを考える点は、湯川さんの影響でしょう。
つづく