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>>151
つづき
下記は、グロタンディークの副作用
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taro-nishinoの日記: 虚空―あたかも虚空から呼出されたかのように: アレクサンドル・グロタンディークの人生 前篇その2
日記 by taro-nishino2011年09月24日 5時30分
(抜粋)
1988年のテキストUndergraduate Algebraic Geometryの終わりにある歴史的注意の中で、Miles Reidは"グロタンディーク個人信仰は深刻な副作用があった。
ヴェイユのファンデーションをマスターすることに人生の大部分を費やした多くの人は拒絶され恥をかいた。
...全世代の学生(主にフランス人)は、高性能抽象形式に盛装出来ない問題は研究に値しないという阿呆な信念へと洗脳された"と書いた。
グロタンディーク自身は抽象化のための抽象化を決して追求しなかったけれども、そんな"洗脳"はおそらく時代の流行の不可避な副産物だった。
"ペースを守り、生き残る"ことが出来た少数のグロタンディークの学生を別にして、彼のアイデアから最も恩恵を受けた人達は 離れて影響を受けた人達、特にアメリカ人、日本人、ロシア人だった、ともReidは注記した。
(引用おわり)
言いたいことは、”分かる”ということは、個々の定理と証明を追うことだけではないと。それはジグソーパズル>>70の各ピースでしかない
ジグソーパズルが組み上がった全体像を理解することがより重要だと
そして、抽象から具体、具体から抽象への行ったり来たりが出来る。これも重要(上記グロタンディークの副作用=グロタンディーク自身は抽象化のための抽象化を決して追求しなかったけれども)