12/04/14 11:27:38.33
>>44 つづき
高瀬正仁氏のブログ これは一読の価値あり
(URLが通らないので、右記のキーワード+下記で検索乞う: 日々のつれづれ オイラー研究所の所長 )
2011-01-15 リーマンを語る 101. ガウスがアーベルを無視した理由(その6)
(抜粋)
アーベルに取って代数方程式の代数的可解性の問題はきわめて重く、この問題に決着をつけることができたなら、まちがいなく数学史に刻まれるべき歴史的偉業です。
ガウスにとってはどの程度の問題だったのでしょうか。
次数が5以上の代数方程式に対して解の公式が存在しないことは、すでに学位論文の時点で自覚していました。
それにもかかわらず、次数がどれほど高くとも代数的に解ける方程式が存在することも承知したうえで、代数的可解性を左右するのは「根の間の相互関係」であることを認識し、円周等分方程式によって具体的に例示しました。
しかもその円周等分方程式をどのように解いたのかといえば、今日のいわゆる「ガロア理論」に沿う解法手順がそのままなぞられています。
代数的可解性は「根の間の相互関係」で定まるという認識はアーベルに継承されてアーベル方程式の概念を生みました。
円周等分方程式を代数的に解く解き方ををモデルにして「ガロア理論」もまた生まれました。そんなガウスにとって「不可能の証明」などは当然のことで、わざわざ証明するまでもないことだったのではないでしょうか。
しかもガウスの円周等分方程式論の真意は代数方程式論にあるのではなく、ガウス平方剰余相互法則の証明という、数論の法則の証明の原理をそこに見いだそうとして努力を重ねていたのでした。
ガウスは「不可能の証明」程度のレベルをはるかに超越した地点に立脚して、なお遠くを見ようとしていたのですから、今さら「不可能の証明」などを書き綴られてもじゃまなばかりで、ただうるさかったのではないでしょうか。
ガウスの心情の世界では、ルジャンドルにおける「補助的素数の使用」「相互法則という用語」「ルジャンドルの記号」「フェルマの小定理を始点とする相互法則の定式化」と、アーベルにおける「不可能の証明」はぴったり対応するように思われてなりません。
ガウスはリーマンも複素関数論もほめませんでしたし、ガウスにほめられた人はごくわずかなのですが、例外中の例外はアイゼンシュタインです。