12/04/13 22:33:57.77
(再録)
>>35
補足
>視点と切り口
モース理論というのがある
複雑な対象を切り口で考えるのだと思う(下記)
URLリンク(www.sci.osaka-cu.ac.jp)
『ADHM 構成』歴史おぼえがき 2002 年8月
(抜粋)
素粒子論は湯川秀樹の中間子論に始まる.彼の理論には二つの特徴があった.一つは新粒子を導入したこと,もう一つは場の理論の枠内にとどまったことである(『場の理論』は平坦な抑揚で読むこと).
一方,西洋を中世から近代へと移行せしめた『オッカムの剃刀』という格率のせいなのか,ヨーロッパの物理学者たちは新粒子の導入に慎重であり,
また,若き日に量子力学の開拓者たちであった彼らは,subatomic な領域に足をふみいれるにあたり,自分たちがつくりあげた量子力学を惜しげもなく捨てるというより過激な方向にむしろ魅力を感じていた.
東洋人であって西洋近代の格率のもとにいなかったことと,時期的・地理的要因により量子力学に後から追随する位置にいたことが,湯川を独創的にした,という見方もある.(小平邦彦の複素多様体論についても同様のことが言えるかもしれない.)
3.現代数学という衝撃
話をもどそう.つづいて物理学者たちの競争は多重インスタントンへと向かう.アノマリーの Jackiw や当時まだ無名の Witten も参戦してきた.そんな中, 4 人の数学者が 4 次元ユークリッド空間上の多重インスタントンを完全に分類した論文を Physics Letters に提出した.
それが ADHM である.物理学者にとって重要かつホットな問題に対し,そのさなかに数学者のみによるインパクトある仕事が提出される,というのは過去に例のないことではなかったか.
しかもその手法が,それまで物理学者たちには全くなじみのなかった代数幾何という分野の,それも層係数コホモロジーの言語で書かれた現代的なものであった.
Polyakov は「現代数学が役に立つのをはじめて見た」と周囲に漏らしたと伝えられる.この衝撃が若き日の Witten の眼を現代数学へと向けるきっかけとなったのではないかと推察される.
(引用つづく)