12/04/13 21:24:51.65
>>9
「~なにか問題が?~」:”簡単に言えば、ε-δによる微分は厳密性を得た代わりに、微小量の直感性を失った。”だと思う
過去、日本の多くの数学者が、直感を否定し厳密性を重視した時期があった。だが、20世紀末から21世紀は再び”直感”復権の時代だと思う
もっと直感を大切にすべき
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超準解析1
原初無限小解析は、dxやdyが図形的な考察とともに乱れ飛ぶ直感的に明快な論理体系であった。
この考え方は固有の利点を持っており、オイラー信者の高瀬正仁大先生が著書「dxとdyの解析学」で詳細に述べていらっしゃる。
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超準解析2 ~なにか問題が?~
簡単に言えば、ε-δによる微分は厳密性を得た代わりに、微小量の直感性を失った。
導関数は定義されてももはやそれはdfとdxの比ではなく、単なる一つの関数を表す記号なのである。dfやdxは単なる記号であり、単独では意味を持たない。
しかし、導関数が微小量の比であるというイメージはとても納得できるし、コーシー流の微分でもこのイメージを避けて通ることは出来ない。
頭の中のイメージと紙の上の証明とでは、全く違うことをやっているのである。
私は、数学は視覚的に明らかである方がよいと思う。それは、上に挙げた参考文献を書かれた小平邦彦先生もおっしゃっていることである。
数学とは、心の中で起こる数学的現象を解析する学問なのだ。それでは、感覚的に優れた微小量という存在を厳密に扱うにはどうすれば良いだろうか?
私の答えは、超準解析を学ぶことである。
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超準解析3
超準解析にはその学問的価値に比して、日本語の本が非常に少ない。(ような気がする。)
しかし、H.Jerome.Keisler教授が無料のpdfを自らのホームページでアップロードしている。およそ900ページの超大作である 。(それでいて、freshmanのために執筆したと書いてある!!)ちなみに私は読んでいない。というか読めない。
本章の目的は超準解析を広く流布し、モナドのイメージを掴んでもらうことであるから、公理的な記述は出来るだけ避けようと思う。公理的な記述に飢えたら、このサイトにこだわらず広く本を漁ってほしい。