13/09/24 02:55:29.06 /IW6tRz/0
>米を食べない人は、炭水化物はなにをとるのかな?
↓つうか、自民洗脳政治が成功しただけでコメは江戸病の元
脚気概要
日本では平安時代以降、京都の皇族や貴族など上層階級を中心に脚気が発生している。
江戸時代の江戸では、精米された白米を食べる習慣が広まり、将軍をはじめとした上層
武士に脚気患者が多かった。将軍徳川家定は脚気が原因で死亡したとも言われている。
脚気は、元禄年間に一般の武士にも発生し、やがて地方に広がり、また文化・文政に町
人にも大流行し、江戸患いと呼ばれた。領地では貧しく白米を食することのできなかっ
た地方武士も江戸勤番では体面上白米を主食としたため江戸在住期間が長引くとこの病
いに罹る例が多かった。経験的に米にかえて蕎麦(ビタミンB1を含む)を食べると、快
復に向かうことが分かっていたため、漢方医学では療法として用いられていた。江戸時
代中期以降、江戸で蕎麦が流行した。江戸でうどんよりも蕎麦が主流となった背景には
、「江戸わずらい」と呼ばれた脚気を、ビタミンB1を多く含む蕎麦を食べることで防止
できたことにもよる[1]。大正期以降、ビタミンB1を含まない精米された白米が普及す
るとともに安価な移入米が増加し、副食を十分にとらなかったことで多くの患者を出し
、結核とならぶ二大国民病といわれた。
国民の脚気死亡者数は、大正末期に年間2万5千人を超え、昭和期に入っても日中戦争拡
大などで食糧事情が悪化する1938年(昭和13年)まで毎年1万人~2万人の間で推移した
。1千人を下回ったのは、アリナミンとその類似品が浸透する1950年代後半であった(1
950年(昭和25年)3,968人、1955年(昭和30年)1,126人、1960年(昭和35年)350人、
1965年(昭和40年)92人)。しかし国民の栄養状態の問題が解決された1975年(昭和50
年)ごろから、栄養成分の偏ったジャンクフードの普及により、脚気が再発してきた。
アルコール依存症患者にも多く、アルコール分解の際にビタミンB1が消費されることと
、偏食もかかわっている。高齢社会(超高齢社会)をむかえた最近では、ビタミンB1を
含まない高カロリー輸液での発症も問題視されている。