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朝日新聞 2012年10月2日 東京夕刊9面
原発とメディア247 マネー21
「ヒロセ現象」封じ
原子力の啓蒙を図る日本原子力文化振興財団は1994年、「原子力文化をめざして」と題した25年史
を出した。そこに、チェルノブイリ原発事故(1986年)から2年後の動きに触れた全国紙の論説委員の
寄稿文が載っている。
「事故は、反原発運動にそれまでにはなかった新しい波を起こした。『ヒロセタカシ現象』と呼ばれた
ニューウェーブだ」
ヒロセタカシは作家・広瀬隆(69)を指す。チェルノブイリ事故の翌87年に原子力の危うさを指摘した
「危険な話」を出版。この本が一つの触媒となり、反原発運動に普通の人々が加わっていった。
原発推進側は封じ込めにかかった。電気事業連合会(電事連)は88年4月、「原子力PA(パブリック・
アクセプタンス=社会的受容)企画本部」を立ち上げ、ほぼ同時に全国紙5紙に月1回のペースで全面
広告を出し始めた。
通産省(現・経済産業省)も5月に原子力広報推進本部を設置し、関係省庁の広報連絡会議を置い
た。推進側は記者クラブや論説・解説委員クラブなどを対象に、しきりに懇談会を開いたという。一連の
動きを雑誌「世界」9月号に書いた時事通信記者(当時)の山口俊明は、記事の中で「政府、電力業界
あげての反撃体制が整った」と記している。
広瀬の「危険な話」を「デタラメだ」と指摘する記事も月刊誌などに出された。日本原子力文化振興財
団は同年7月、「『危険な話』の誤り」と題したパンフレットを記者らに配布。さらに原子力への理解を得
るシリーズ広告「エネルギーのはなし」を全国紙で始めた。財団の25年史によると、この広告は94年6
月末時点で301回に及んだという。
「ヒロセ現象」に対する原発推進側の対応について、冒頭の論説委員は25年史への寄稿文で「感性
によるPAや広報活動が強調され始めた。『こちらもパフォーマンスを』というわけだ」と分析した。一方、
山口は「世界」の記事で、こんな見方を示した。「相手は国家の意思そのものともいえる原発推進体
制。圧倒的な物量と権力を背景に、様々な戦術を駆使して闘いを仕かけてくる」
(編集委員・小森敦司)
キャプション 日本原子力文化振興財団が1988年7月から新聞で始めたシリーズ広告「エネルギーのはなし」
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で、体制の尻馬に載ったキクマコが「広瀬隆は終わって、残念」、
原子力PAの技法を深く研究していた原研(JAEA)が「あくまでも外部委託研究なので利益相反じゃないんですよ!」とかいう
アリバイ作りの為だけに株式会社廃棄物工学研究所の石坂薫に事実上の共同研究事業を随契に近い形で発注して、
その石坂薫がネットでステマを仕掛けると。で、石坂薫のステマがバレても何食わぬ顔でJAEAは発注継続ww
原子力推進体制はほころびすらみせていないのが現実だわね。ガチンコで来ている。
つうかさ、日本原子力文化振興財団幹事は朝日新聞科学部の大物OB・岸田純之助だってちゃんと書けよw
朝日新聞は自己検証記事に見せかけて、他者批判にすり替えるセコいところがある
つまり、東大話法規則6 自分の問題を隠すために、同種の問題を持つ人を、力いっぱい批判する。
を多用するから批判されるんだよ。まあこれが朝日新聞の限界だわな。
「朝日新聞はよくやっている!」とか褒めている人はみんな頭おかしいんじゃないの?
科学医療部の出稿している記事は原発推進⇒放射線被曝安全論ばっかで、揺らいですらいないよ?