14/02/27 09:00:14.90
>昔も今も、研究にお金がかかるのは避けることができない。
>16世紀の知りたがり屋の道楽者、natural philosophistたちがパトロンによる支援で研究を行っていた時代でも、
>道義上パトロンに対して「うそをつかない」というくらいの規範はあっただろう。
>現在においての研究のパトロンといえば、とりもなおさず公的な財源である。
>日本においては、国の予算なしではその活動を行うことは不可能だ。
>そうしたことを考えれば、研究費を申請することに際しての不正は許されない。
>研究者の倫理というのは、そういうものと考えるのがシンプルだ。
>
>しかし、「科学」というシステムが、例えば科学研究費補助金などの形で予算配分権を委任されている、
>という状況から考えると、社会が研究者に期待する倫理観は、
>「科学者」、「研究者」が社会からプロフェッションとして見做せるかどうか、
>という問題につながっているのではないか。
続・STAP細胞が映し出すもの―「科学」と「社会」の関係 | SYNODOS -シノドス-
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