12/12/05 22:49:56.29 nv/5jz7n
>>844
>>普通の人は楽しいと思うからそれをしたいのであって、それを楽しいと思う物を何か探したりするのはそもそも逆なのです
焼き鳥という物を既に知っているならお腹が空けば時に焼き鳥が食べたいと言う気持が沸き上がって
焼き鳥を食べに行くと言う目的を持って焼き鳥を食べに行く事もあるだろうけれど、
目的もなく商店街をぶらぶら散歩していたら店先で焼き鳥を焼く臭いがしてその臭いに誘われて焼き鳥が食べたくなると
言う事も有るように必ずしも先(行動の前)に何かをしたい希望がある必要は無いのです、
無意味に歩いていても、焼き鳥と言う食べ物を知らなくても偶然に出会った焼き鳥のニオイと言う
刺激を受ける事で焼き鳥を食べると言う目的をその場で持てる事も有るのです、
知らない物はまず最初に知ると言う事が最初に必要なのです、それを知った上でそれが
自分にとって楽しさを与える物かどうかが判断できるのです、
何かをしたいと思うかどうかの前に何かに出会うとか知る事が必要なのです、
出会っていない物、知らない物をしたいとか楽しいとか思う事なんてあり得ないのですから。
人生に当てはめれば生き甲斐が見つけられず目的も無く生きていても
ある時孤児院の子供のランドセルが足りない事を知って彼らの役に立ちたいと思う感情がわき上がり
恵まれない子供の為に成れる人間に成る事に生き甲斐を見いだす事も有るのです、
何かをしたいと言う欲望を起こさせるのは「これが自分の生きる使命だとか楽しめる事だ」と思わせる
出会い(気がつき)が先に有るのです
出会いのない物を楽しいなんて思える分けがないのです、知らないのですから、
楽しい物を探すとはこの自分に生き甲斐を持たせる出会いに気がつける心構えを持った人間に
成りましょうと言う事です、
「世の中には楽しい物はないんだ、生き甲斐とできる物はないんだと」と決め付けていては
どんなに良い出会いが有ったとしても出会った事に気がつかないままアナタにとって
その生き甲斐とできる物に成り得る物、楽しい物と思わせ得る物に成り得る物は目の前を
通り過ぎて行くだけです。